これまでとは違う新しい道を歩もうとするとき、誰しも不安で足がすくんでしまうのは当然のこと。

今回インタビューする田中さやかさんは、2017年に4年半勤めた会社を退職。未経験からフリーのライターとして活動をスタートしました。
フリーランスとして3年目になる彼女はすでに数多くの記事を手がけ、大手のメディアでも仕事をするなど着実にライターとしての道を歩んでいます。

「あの人は自分とは違う。自信を持ってどんどん前に進める、選ばれた人なんだ」

彼女のような人を見ると、私たちはついついそんな風に思いがちです。

しかしながら、実際のところは違います。
会社を辞める際には自己嫌悪と戦い、なんとか一歩踏み出した後も道に迷って一人途方に暮れる。
さやかさん本人にしかわからないであろう、不安や苦しみがそこにはありました。

今回は彼女がフリーランスとして活動するにあたって一番辛かった部分、そしてそこをどう乗り越えたのかにフォーカスしてお伝えします。

■□■□田中さやかプロフィール■□■□

大学卒業後、テレビ番組制作会社で勤務したのち2017年にフリーライターへ。
現在はインタビュー、取材記事を中心に活動中。将来は創作の仕事をするのが夢。
新しい働き方LAB 東京コミュニティマネージャー

制作会社へ就職して3年。「この人たちには絶対に勝てない」という思いが生まれた

ーーフリーライターとして活動する前はどういったお仕事をされていたんですか?

以前は、制作会社に勤めていました。

学生の頃はテレビの世界に興味があって、就職先として映像関係の仕事を選んだんです。
いずれは自分でドキュメンタリー番組を作ろうと思っていて、そのためにも25歳までにディレクターになると決めていました。

ーー制作会社ではどのようなお仕事をされていたのですか

最初はAD(アシスタントディレクター)です。番組の資料作りや備品の発注など、番組の下準備をしてディレクターを補佐する、いわゆる「何でも屋」ですね。

私はスポーツ番組を担当することになって、中継のたびに現場へ足を運んでいました。
スポーツ中継は制作チーム10名、技術さん30〜40名、総勢50名ほどのスタッフが関わります。
入れ替わりやってくるスタッフへお弁当やお茶を配ったり、演者さんを案内したり、まるで体育祭のようなんですよ。私はそれ以外に、選手のインタビューなども担当していました。

そうやってスポーツ中継をはじめ、いろんな番組ADで下積みをして3年が過ぎた頃、目標としていたディレクターへと昇進が決まりました。

でも私はそれを素直に喜べなかったんですね。

ーーなぜですか?

映像制作で欠かせない重要な作業が「編集」です。
でも私はその編集がどうしても好きになれなかったんですよ。

番組を作るには、撮影した素材をカットして、構成に合わせて並べ替えます。そして映像に合うようにテロップを入れ、SE(効果音)やBGMを選び、ナレーションを考えて…と作業が多岐に渡ります。

取材やインタビューは好きだったのですが、演出に必要な素材を会話とどう組み合わせていけばいいのかが分からない。それに加えて、テロップの色やフォントはどう組み合わせるべきか、SEやBGMの最適解は何なのか。

もちろん、正解があるわけではありません。ただ、私は色々な要素を組み合わせて1つの作品を作るのがとても苦手なように感じたんです。

映像が好きな人にとっては最初からなんとなくできることが、私にとっては努力してもできない。

周りの人が細かいところまでこだわって編集する姿を見るたびに、自分との本質的なズレを感じました。「私はそこまではできないな」「この人たちには絶対に勝てないな」って。

「もしかすると、自分にこの仕事は向いていないんじゃないか」

そう思い始めてからというもの、日を追うごとにどんどん仕事が辛くなっていったんです。

「私は何で動けないんだろう」行動できない自分が嫌いになってしまった

ーー仕事に違和感を感じ始めてから、辞めるまでにどのくらいの期間があったのでしょうか

約1年半ですね。
家族や友人に相談しながら、グルグルと同じ悩みをずっと抱えていました。

「私は何で動けないんだろう」

これが当時の自分が1番自分に投げかけていた言葉です。

私が大学受験で第一志望に落ちたとき、担任の先生からかけてもらった言葉がありました。

「大学は入って終わりではないよ。そこで自分がどう動くかで変わっていくんだよ」

その言葉がとても響いて、私は大学に入ってから何ごとにも積極的に動くようにしたんですね。結果的にどんどん世界が広がり、自分のやりたいことにも近づくことができたんです。

なので、自分から行動することの大切さはしっかりとわかっているつもりでした。
にもかかわらず、社会人になった私はまったく動けないわけです。

やりたいことがあるのに動けない自分、動こうとしない自分、そんな自分に心底嫌気がさしました。

当時の日記を読み返すと、

「何でこうなんだろう」
「何で決断できないんだろう」
「何で変わりたいのに変われないんだろう」

など、自分を責める言葉で溢れていて本当に辛くなります。

今思えば、あの頃が人生で一番自分のことが嫌いだったかもしれません。

未経験からライターへ。一歩踏み出せたのは、自分が「他人軸」で生きていることに気づいたから

ーーそんな状況からどのようにして抜け出せたのでしょうか

その頃、たまたま友人と一緒にブログを始めたんですね。
自分たちが食べ歩いたお店の情報を文章と写真でまとめただけの、ごくごく簡単なものだったんですけど、それがすごく楽しくて。

映像の編集と比べると、ブログは作品を作り上げるのに必要な要素が少ない。そうなったとき初めて、私は何を書いたらいいのか、どんな言葉を選べばいいのか、クリアにわかるようになったんです。

気がついたら一文一文にとてもこだわっている自分がいて。全く飽きないし、言葉の力で読者にどんな印象を残せるのか研究するのがすごく楽しかったんです。

思い起こせば、私は小学生の頃から日記を書いたり、冒険小説を書いて母親に無理やり見せたりと、「文章を書く作業」と「文章を読む作業」はずっとずっと好きだったんですよ。

「あぁ、そういえば私は書くことが好きだったんだよなぁ」

そんなことをぼんやりと思いながら、発信媒体を映像ではなく文章に変えて、ライターとしてやっていけないかなと考えるようになりました。

またちょうどその頃、クラウドソーシングの情報も少しずつ出てきていたんですね。
なので「今なら自分でもwebライターとしてやっていけるかもしれない」とも思いました。

ーーとはいえ、未経験からライターの道へ踏み出すのはかなり勇気がいると思います。なぜ一歩踏み出せたのでしょうか。

それは、「他人軸」で生きていたと気がついたからです。

「なんでこんなに悩んでいるのに一歩踏み出せないんだろうな」と考えたとき、一番の理由はまわりの目を気にしていたからでした。

「大学まで出て就職したのにもったいなくない?」
「4年以上も働いているのになんで辞めるの?」
「文章を書く仕事で食べていけると思うの?」

いわゆる“一般的”なレールから降りたら、まわりからどう思われるんだろうという「他人の目」が怖かったんです。

そう考えているうちに、どんどん自分のことが嫌いになってしまって。

ぐるぐると悩み続けたある日、ふと「私の人生なのに、なんでこんなに他人のことばかり考えているんだろう…」と思ったんです。

まわりの言葉で自分がやりたいと思うことにフタをするのはもったいない。もし今私が死ぬとしたら、絶対に「あのときチャレンジしておけば良かった」と思うに違いない。

「そんな人生絶対に嫌だ」

そう思った瞬間に、他人軸ではなく自分軸で生きていこうと腹をくくれたんです。

”もう自分のことを嫌いになりたくない”という気持ちが、私を後押ししてくれたように思います。

「自分のためだけの文章」が「自分の好き」に気づかせてくれた

ーーその後はライターとして、順調に経験を積んでいくわけですね。

それが去年の夏にライターの仕事でパンクしてしまい、一旦立ち止まる機会がありました。
仕事を詰め込みすぎてしまい、キャパオーバーになってしまったんです。

ある日、原稿を書いているといきなり涙が出てきたんですね。
「あれ?おかしいな」と思っても全然止まらなくて、気がついたら布団に潜り込んで泣いていました。

文章を書く作業は全然飽きないし好きなはずなのに、そのときはただただ辛くて。何も楽しく感じることができなくなっていました。

たくさんお仕事を頂けていたのはありがたいことだったのですが、私が本当にやりたいことには近づけていなかったんですね。

「なんで私は文章を書く仕事がしたかったんだろう」

あらためて自分の気持ちとちゃんと向き合おうと、会社員時代に書いていた日記を読み返したり、ノートに自分の好きなことやモヤモヤすることを書き出したりしました。

そこで初めて、自分の中にある「創作をしたい」という気持ちに気づいたんです。

子どもの頃から本を読んだり文章を書いたりするのが好きだったこと。
暇を見つけては小説を書いていたこと、作家になりたかったこと。
でも無理だよねと、挑戦もせずにあきらめていたこと。

心の奥に眠っていた、本当の自分の願いというものが見えてきたように思えました。

「書く」という仕事の中でも、小説やエッセイなど「創作」の仕事に近づくことが私には必要だとわかったんです。

そのことに気づいてからは、誰に見せるわけでもない、自分のためだけの文章を書くことを始めました。

ーー自分のためだけの文章を書くことで、何か変わってきましたか?

コツコツ書いているうちに、「私って普段こんなことを思っていたんだ」「こういう世界観が好きなんだ」と自分をより深く知ることができたように思います。

その頃から始めたnoteはこの1年毎日欠かさず続けていますし、そのnoteがきっかけでショート小説のお仕事を頂く機会にも恵まれたんです。

私だけのために書くことを通じて、自分の「好き」を思い出せたんです。

「好き」を大切にすること。夢はきっと叶う。

仕事でパンクしたとき、会社員時代に書いた日記を読み返したことがありました。

そこには「将来こういう仕事がしたい」「こういう環境で働きたい」など、当時考えていた理想の働き方が書かれていました。

全部叶っていたんです。

辛くて泣いていたそのときであっても、以前思い描いていたことは全部叶っていたんですよ。

その事実に気づいたとき、本当に感動してしまって。

また自分を嫌いになりかけていたのですが、着実に前に進んでいることがわかって「大丈夫」と思えたんですね。
だから今自分が思い描いている夢や理想も、正しく努力を続ければきっと叶うんじゃないかって、本当にそう思います。

ーーやりたいことができずに悩んでいる人がいたら、どんなアドバイスをしますか?

私は会社員時代に、行動できない自分を本当に嫌いになってしまいました。フリーになってからも一度同じような経験しています。

”もう二度とそういう自分には戻りたくない”

私はこの思いが強くて、それがこれまでの原動力になっているような気がするんです。

だから、今自分が行動できなくて悩んでいる人も、そんなに悲観的にならないでほしいと思います。今感じている辛さはきっと後々自分の支えになるし、道に迷いそうなときは正しい方角を示す道しるべになると思うんです。

まずは自分の中にある「好き」を思い出すこと。そして、それを大切にすることから始めてみてほしいなと思います。

編集後記

「あの人は自分とは違う。自信を持ってどんどん前に進める、選ばれた人なんだ」

実はかつて、自身もさやかさんに対して同じような感情を抱いていたことがある。
同時期に歩みはじめたフリーライターとして、彼女の活躍がまぶしく見えていたのだ。

一見華々しく活躍している人でも、見えないところで不安や苦しみと戦っている。
こんな当たり前のことに気づけなかった自分は、きっとまだ他人軸で生きていたに違いない。

他人軸から抜け出すうえで、さやかさんの場合は「書くこと」が助けになった。
その助けは人によって異なるので、自分で見つけるより他ないだろう。

でもヒントはある。しかも自分の中にある。

さやかさんは今回、それを教えてくれた。

ライタープロフィール

取材・文:ハマ(長濱裕作)
フリーライター。書くことを中心に、様々なスキルを掛け合わせた「半農半X」のライフスタイルを実践している。最近ハマっているものは「けん玉」。

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ブログ:https://hamalan.com/
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