新しい働き方LAB 6か月間 左手で描き続けたら、左手が相棒になった話

「自分らしさが価値になる時代へ」を実現できるコミュニティ「新しい働き方LAB」では、新しい働き方に挑戦する研究員の方々がいます。

そのひとり、グラフィックデザイナーの佐藤絵里さんにインタビュー。

佐藤さんの研究テーマは「左手(非利き手)で描く練習を積むと右手にはどのような影響を与えるか?」でした。佐藤さんに今回の研究を通して、不器用な左手が相棒になるまでの気づき、学び、そしてこれからについてお聞きしました。

佐藤絵里さんのプロフィール

アメリカでグラフィックデザインを学び、卒業後は牛角(アメリカ本土第一号店)で働きながら、フランス人デザイナーのもとでアシスタントを務める。しかし、その生活の中で自分はどんなデザインをしたいのだろうと考え直し帰国。メディア制作会社でウェブデザイナーとして、アパレル、航空宇宙関連サイトを担当する。その後も、さまざまな経験を経て、現在はフリーランスとして独立。企業のロゴ・パンフレット・広告バナー・雑誌・論文・ウェブコンテンツの挿絵などを描き、プライベートではシルクスクリーンを制作している。公私ともにクリエイティブな生活を送っている。(https://310-dhouse.jp/

仕事の間口を広げるために…

佐藤さんが描いた6月のスケッチと10月のスケッチ

ーーすでにフリーランスとして独立し、多くの実績を持つ佐藤さんが今回、新しい働き方LABに応募したきっかけは何でしょうか

研究員が募集されていた頃(2021年4月)に、継続していた仕事に区切りがついて、働き方の間口を広げることを考えていました。

その時にふと検索してみつけたのが、新しい働き方 LABのページでした。
そのページをみたときに新しい働き方というワードよりも、研究や実験という言葉に
ときめいて、気づいたら応募していました(笑)

私は、これまで仕事とは別にスケッチを描いたり、定期的に運動したりと継続できる性格なのはわかっていました。

あとは研究って夏休みの自由研究以来でしたし、それと自分で何かを研究するといってもなかなか動けないじゃないですか。

そこで新しい働き方LABなら、研究テーマも自由ですし、ほどよく自分を縛りながら続けられるのではないかと思いました。

ーー「ときめいた」素敵です!ところでお仕事の区切りとはどういったことですか。

IoT事業にスタートアップから継続的に参加していて、ベンチャー企業まで成長しました。ベンチャー企業にはありがちなことですが、資金調達ができないことによって事業が立ち行かない時期もありました。

何度かの山谷を経験をしながら事業を継続していた矢先に、当時の社長が急死するという事態になりました。

その頃から、これから何が起こるか分からない、自分に他にできることはないかと考えるようになりました。一つのお仕事や働き方だけでなく、複数のオプションがあってもよいと思ったのが区切りだったと思います。

ーー周囲の変化や将来のことを考え、自分を変えようと思われたのですね。それでは、なぜ「左手」で描こうと思ったのでしょうか。

右手は普段の仕事や生活で使いなれています。もしかしたら左手が使えるようになれば、相乗効果で右手にも影響があるのではないかと考えたからです(※)。

例えば、描くスピードが速くなったり、構図を捉えるのが早くなったりといったことです。

※佐藤さんは、研究を始める前にいくつかの論文を調査しています。例えばリハビリテーションの研究では、右手の機能回復に左手を訓練することで効果があるといった研究が報告されています。いくつかの研究例を以下に掲載します。

同じ重さの物を持った時、利き手は非利き手よりも軽く感じる
利き手の神経機構

非利き手が利き手の機能回復に効果がある可能性
非利き手の運動課題練習が脳血流に及ぼす影響

非利き手で作業することによって、注意力が必要となり、
脳が活性化し、認知症の予防になる可能性
利き手と非利き手作業時における脳循環動態の比較

 

私が行っている実験内容は

  • 毎日、15~30分のスケッチ練習を左手で行う
  • 描写について月に2回、同じ人物画を左手で描く
  • スピードテストとして月に2回、1分間で平仮名を左手で書く

を行っています。これらのアウトプット画像とともに気づいた点をTwitterに投稿して記録しています。また月に一度、noteにまとめを投稿しています。

43年間、右手の助手だった左手が独り立ちを始める

6月~10月までの佐藤さんによるスケッチ

ーー「左手で描く」研究を通して気づいた点や効果があれば教えてください。

研究をはじめた当初は、あれ?右手ってどういう動きをしていたのだっけ?という状態でした。そこでまずは右手で書いてみて、手首や親指の動きといった細かい動きが違っていることに気づきました。

左手は手首の動きが少し硬くて、それと連動して指先の動きも硬くなります。

右手は普段の仕事でも使っているので、まっすぐ引くことやきれいに描くことがしみ込んでいます。でも左手は味のある線であったり、企みがない狙っていない素直な線が描けるのに気づきました。

左手を使うと、自分が2人いるような、園児に戻ったような新感覚でした。

今日はどんな調子で描けるだろう?というワクワク感がありました。

一度、右手で描いてしまっても手書きだと直すのが面倒だと感じることも、左手なら素直にもう一回消して、やってみようかという気持ちになりました。

定期的に同じ人物をスケッチしたときには、日や時間帯によってその時の気分が、人物画に現れているようにも思えました。

楽しい時間はすぐに過ぎてしまうのと同じで、左手で自分が思っている以上のものが描けると喜びを感じて、充実した時間を過ごせました。

ーー私も左手で何かやってみたくなりました!ところで、いつも同じ男性の人物画を描いていますが、あの方はどなたですか?

ちょうどいい構図だったサイモン・ベーカー氏の人物画

研究を始めて、友人にも同じことを聞かれました(笑)
実は、夫がForbesを購読していまして、たまたま手に取った雑誌の表紙がイーロン・マスクでした。

でも、そのイーロン・マスクの写真がアップすぎて、もっとひいても・・と思って裏をみたら、ちょうどいい具合にひいた顔がありました!

ちなみにその方の名前は、サイモン・ベーカーさんでした。

実はモデルは誰でもよくて、パソコンを毎回開いて画像見ながら描くよりは、プリントアウトしてある紙で、描くのにちょうどいい構図だったというのが理由です。

ーー特にモデルにこだわりはなかった(笑) では他のスケッチは、魚や鳥といった動物が多いようですが、動物がお好きなのですか?

今、ドリトル先生の本にハマっていまして、本を全13巻を大人買いしました。ドリトル先生は、すごく私好みのテンポの良さで、ストーリーもほっこりしてドリトル先生の優しさが気に入っています。

それで図書館で図鑑を借りてきて、スケッチの練習をしています。そのときに気づいたことは、左手で描くことで対象物をじっくり見て、観察眼が鍛えられていることでした。

また左手は線を細くまっすぐには引けませんが、それがかえって描写物のリアルさをもたらすこともわかりました。

最近では、左手スケッチで鍛えられた観察眼を使って、相手の言葉選びや仕事の進め方、感情の起伏を見ていると、その方が所属する組織内での役割や立ち位置が透けて見えるようになりました。

観察眼とは、スケッチで丁寧に細部を描きながら、カメラでいうズームインとアウトを繰り返して描くような工程だと思います。

左手でゆっくり丁寧に描こうとする意識が影響していると思います。

ーーその観察眼が日常生活にも影響を与えているのですね。他に何か日常生活で変化はありましたか?

はい、例えばお風呂掃除では、いつも右手だけで掃除をしていたのが、左手が使えることで体をひねらずに楽に掃除ができます。

また歯ブラシでは、左手首が動くようになって右側の奥歯を磨きやすくなりました。右手と左手を交互に使いながら作業ができるようになってすごく便利です。

あとはアイブロウで左眉毛を描くときに、少し早いかなというところですね(笑)

そして右手のことで気づいたこともありました。洗濯ものを干すときに、左手で衣服を押さえながら右手で洗濯ばさみで挟む動作を逆にしてみたら、右手が洗濯ものを支える動作に慣れていないことがわかりました。

例えるなら、いままで家事をしたことなかったお父さんが、炊飯器ってどう使うんだ?みたいなことです(笑)

フリーランスを続けていると、漠然とした不安みたいなところがあると思うのですが、今回の研究での取り組みによって、今に集中できる時間が作れたことはすごくよかったと思っています。

左手で半年間、研究を続けて、不器用でも積み上げれば形になることがわかったことも非常にいい経験になったと思います。

私の新しい相棒(左手)と

ーー研究が終わっても「左手で描く」ことは続けますか?また右手と左手を使った作品作りなどの今後の展開があれば教えてください。

左手は継続してスケッチしたり、自分の作品に反映したり、取り入れていきたいと思っています。例えば、趣味でやっているシルクスクリーンで具象的なもの抽象的なもののテクスチャーを描くときに、描写に味が必要なときは左手を使っていきたいと思っています。

今後は、木版画にも挑戦したいと思っていて、彫刻刀を使って木版を作るときに右手と左手の両方を使いながら作品にしたいです。

今回の新しい働き方LAB の経験で、私は「新しい相棒」が増えた気がします。

新しい働き方ということでは、私の経験では焦って何かを探すときっていいことはないと思っています。そういう時こそ、じっくりと他のことへ意識をそらした方が、思いがけない方向からひらめいたり、解決策がみえてきたりといったことがあるのではないでしょうか。

《ライター・内野隆志》