現在、ブログ運営、Webディレクター、高校の授業コーディネーターなど多様な分野で活躍する、やぶなおさん。しかし、過去には不登校、就職してからも、営業会社で毎日飛び込み営業をして精神をすり減らし、適応障害と診断されるなど、けっして順風満帆とはいえない辛く苦しい過去がありました。

その過去をどう乗り越えて、今のキャリアに至ったのでしょうか。やぶなおさんに、フリーランスに興味を持ったきっかけや、継続して仕事をもらうコツ、大切にしている生き方、働き方についてお話をうかがいました。

■□■□ 矢吹直也さん(やぶき・なおや)さんのプロフィール■□■□

「心に月明かりを」というテーマで、まだ眠っている魅力を引き出し、情報発信でカタチにする仕事をしている岡山の27歳。働き方に悩んでうつ病手前になった経験から、フリーランスに。創業100年の老舗企業・地方行政・高校・個人まで幅広く相談に乗っている。新しい働き方LAB 岡山コミュニティマネージャー

Twitter:@yabnao

運命の人と出会い、人生が一変。

ーーまず、学生時代から新卒入社までのエピソードを聞かせていただけますか?

学生時代の頃は、いわゆる陰キャでした。小学校4年生くらいから高校までは、学校に行っては不登校になるの繰り返しで。団体行動が苦手だったんですね。

大学の時に、友達の紹介で今の妻と出会ったのが大きな転機でした。そのときに初めて、「この人のためになにかしたい!」と炎が燃えるような感覚が芽生えたんです。

アプローチを重ねてお付き合いすることができて、一変してバラ色の人生になった気がしましたね(笑)

付き合ってからは、お金を貯めるためにアルバイトを始めました。恋愛がうまくいっている時は不思議と仕事もうまくいくんですよね。家電量販店の倉庫でアルバイトをしていましたが、途中から携帯の販売コーナーに異動して、店舗で売り上げ一位になりました。その経験をきっかけに、人と接することを楽しいと思えるようになったんです。

仕事も楽しく、職場の環境にも恵まれていたので、家電量販店での就職も考えていました。しかし、せっかく新卒で入社するなら大企業を目指したいと思い、なくなく家電量販店の内定を辞退し、第一希望の旅行会社を受けたのですが、結果は不採用。私のときは就職活動のスケジュールが中小企業、大手の順番だったので、後がありません。最終的には、大学の先生から紹介してもらった地方のIT企業の営業職に就くことになりました。

ーー当時は、フリーランスや起業に興味はなかったんですか?

フリーランスという言葉も知らなかったですし、興味もなかったですね。会社員になって安定した暮らしを得たいと思っていました。面接の時に「僕は飛び込み営業はやりたくないです」と伝えていましたが、いざ入社してみたら、結局、手あたり次第に飛び込むゴリゴリの営業で……。

とはいっても、入社したからにはやるしかないと思い、初日は徒歩で40件くらい回りました。

ーー40件って、相当優秀じゃないですか!?

家電量販店で結果を出したプライドというか、がんばらなきゃと思ってた部分もあったと思いますね。

最初の半年間くらいは勢いだけで褒めてくれるんですよ。でも半年経つと、結果を求められるようになりました。ふと「あれ、あとこれ40年続けるのか?」と思い、絶望しはじめたんですよね。それでも、なんとかがんばっていましたが、誰にも求められず、自分自身が誇りを持てない仕事をしている状況にだんだん苦しくなってきて、少しずつ「営業に行ってきます!」と行って本屋でサボりだすようになりました。

そして、一年たった頃には、ベッドの中で自然と涙が出て、朝起きれなくなってしまったんです。「不登校のときと自分は何も変わってない。なんて、ダメな人間なんだ。」とまた自分を責めてしまって。そのあと、心療内科で適応障害と診断されました。その後、泣きながら上司に辞表を提出しました。

フリーランス1年目で、月収20万円を達成

ーーとても壮絶な経験ですね。会社をやめて、そこからどのようにしてフリーランスに興味が向いたのでしょう?

元々、会社をサボってる時に本屋さんで見つけたキングコング西野さんの「魔法のコンパス」という本で、多様な生き方、働き方があることを知りました。そこから、さらに病み始めた頃に「会社辞めたい」で検索して見つけたのが、執筆屋あんちゃさんのブログでした。そこではじめてフリーランスという生き方を知りましたが、当時の自分には無理だと思っていて行動にはあまり移せていませんでした。

会社をやめて1ヶ月くらいは、何もしていなくて。時間もたっぷりあったのでブログを書いていました。ちょうど、その頃西野さんが「革命のファンファーレ」の発売前の原稿を送る企画をしていて、ためしに西野さんにメッセージを送ってみたんですね。すると、すぐに返信が来て。その経緯を記事にしたら、一日2PVだったのが、1000PVくらいになったんです。

会社で辛い中、西野さんの本に勇気づけられました。自分のブログを通じて誰かに喜んでもらえてうれしかったんですね。次は、発売された「革命のファンファーレ」のレポートを誰よりも早く書こうと思って、原稿をもらった日の夜中に全部読んで、次の日に読書感想文を書いたんです。そしたら一日1万PVくらいになって。そこで初めてブログの可能性を感じました。

ーー1日1万PV……!すごいですね。ブログの書き方は独学ですか?

そうですね。特に本を読んで勉強したわけじゃないです。僕が尊敬しているあんちゃさんのブログを読みまくって、「どういう意図で書いているんだろう?」と考えながら、ひたすらに真似して書いていました。

ブログや文章だったら、病んでいても、人とコミュニケーションをとれなくてもゆっくり時間をかければ、人に何かを伝えることができる、自分でも役に立てると思い、そこからフリーランスになることを決めました。

ーーそこで可能性を感じて、フリーランスになったわけですね。

そうですね。とはいえ、僕の収入がゼロになると、同棲していた彼女に迷惑をかけてしまうので、まずカフェのアルバイトで月10万円稼ぎながら、残った時間でブログを書くことにしました。

ーーどのくらいで、収益化できるようになりましたか?

半年目くらいで月1万円を超えて、一年で20万円を超えました。月1万円を超えた頃から、初心者ブロガーさん向けのコンサルティングをはじめて、収入も少しずつ伸びていきましたね。

ーーその運用の方法は、自己流で編みだしたのでしょうか。

僕が尊敬しているあんちゃさんから、「やぶなお、コンサルやってみたら?」って言われて、「やります!」ってコンサルティングをすることになりました(笑)

ーーそのときに抵抗感はなかったですか?ぶっちゃけ、ブログはじめたてなのに、コンサルティングをするなといった批判も殺到しそうじゃないですか……?

1万円しか稼げてないブロガーがコンサルティングをしたら叩かれるだろうなとは思ってました(笑)でも、自分が好きな人、尊敬している人が言ってくれるからやりたいなって。しかし、コンサルティングを受けてくれた方たちは喜んでいましたが、知らない方たちはそれをよしとしなかったんですよね。

具体的には、20万の収入を超えたときに、収入の内訳が半分アフィリエイト、半分コンサルティングだったんですが、「こんなので20万稼いだといえるのか」と目をつけられてしまって……。当時は、ブログをやめたくなるくらい落ち込みました。

このころから、好きなことで食べていくスタンスに違和感を覚えるようになりました。

「好きなことで生きる」と「好き勝手に生きる」は違う

ーーどのあたりに違和感を覚えるようになったのでしょう?

情報発信をしていると、インターネット上では楽しそうだけど、苦しくなる瞬間があって。

自分の好きなことばかりやっていたら、良いなと思ってくれる人はいても、「こいつムカつく」と嫉妬する人もいるわけじゃないですか。それって、結果的に誰かを傷つけている側面もあるんですよね。

「好きなことで生きるとは、好き勝手に生きることではない」と、気付かされたんですよね。そこが気付きとしては一番大きかったですね。そこからは、発信の方向性を変えました。

ーー具体的には、どういう方向に変えたんですか?

好きなことで生きることを発信するより、周りのため、目の前の人のため、社会のために発信する方向に変えました。

例えば今は、学校教育にも携わっていますが、高校の授業コーディネーターの仕事は、お金はほとんどもらっていなくて、ほぼボランティアなんですね。でも、誰かが喜んでくれたら、それが自分の喜びにも繋がっていて、みんな幸せな生き方ができるなって思ったんです。

自分の意思に頼らずに、人を巻き込むことが重要

ーー食べていける収入を作るまでに、大変だったことはありますか?

やっぱり、最初の1万円の売上を作るときですかね。1万円までに挫折する人がほとんどですよね。そこは正直、自分を信じられるかだと思っています。一人でひたすら画面に向かうことが辛かったですが、周りのコミュニティメンバーが支えてくれたから何とか乗り越えられました。今も文章を書くときは、楽しい瞬間もありますけど、めちゃくちゃ苦しい瞬間もあります。それを継続するのが一番大変だったかな。

ーー継続するために心がけていたことってありますか?

自分の意思に頼らずに、人を巻き込むようにしていました。あと、記事書く時は「これって誰のためなのか?」というのをすごく考えてましたね。僕は、SEO記事をうまく書けなかったんですよ。書く相手が見えないから、思いを込めて書けなくて、結果的に全然読まれなかったんですよね。

ーーでは当たった記事は、誰か一人に向けて書いた記事が多いのでしょうか。

そうですね。誰か一人に向けた記事、適応障害で病んでいた過去の自分に向けて書いた記事が読まれていますね。苦しいときに自分だけでがんばろうとしたら難しいと思ってて。そういうときこそ、誰かのためにやっていたらその人たちが引き上げてくれるというか、そういうのはあると思いますね。

過去の自分みたいな人に、自分の体験をブログで発信して、喜んでくれる人がいるから、リアルに結果としても出やすいのかなと思いますね。

ーーこれ読者は気になると思うんですけど、やっぱりブログで安定して稼ぐのは難しいですか?

正直、今からブログの広告収入で安定的に稼いでいくのは難しいと思いますね。ブログというと、アフィリエイトなどの広告収入のイメージがありますが、それだけに挑むのは、すごくもったいないなと思うんですよ。アフィリエイト収入でそれなりの売上を作るには、PVをたくさん集める必要があって、SEO記事を量産したり、ときには炎上するような過激なことをしないといけなかったりするわけですよ。その努力ができるならやってもよいですが、たくさんのリソースが必要になり、資本を持っている企業が本気で勝負しかけているなかで、個人が戦えるかというと、正直僕は難しいと思うんです。

じゃあ、どうしたらよいかといえば、自分のスキルを磨き、自分自身を仕事にしていくほうがよいなって思っていて。

たとえば、誰かに価値を提供して、自分のことを一人でも好きになってくれる人がいれば、たぶんその人は仕事の対価として1万円くらいなら払っていただけると思うんですよ。もちろん、お金の話だけではなくて、たくさんのPVを集めるよりも、まずは目の前の人たちにどれだけ尽くせるかがすごく大事だと思います。たった一人の心さえ動かせない人に、大勢の人の心は動かせませんからね。

ーーちなみに、フリーランスになってどのくらいの時期から安定し始めましたか?

2年目くらいですね。ブログ運営だけでなく、クライアントワークと教育関係と複数の事業をするようになって、収入が安定しました。

ーー今、継続されている案件もあると思うのですが、継続して発注してもらうコツはありますか?

僕は、お仕事を頂いた時に、価格以上の価値が返せるように努力しています。たとえば、1万円分の仕事なら、2万円、3万円分の仕事をすることを心がけています。すると、「この人はがんばってくれているから、今後もお願いしよう」って思ってもらえると思うんです。ついつい、価格に見合った仕事をしてしまいがちですが、依頼してくださった方に喜んでもらうためにも、自分の価値を高めていくためにも、自分の負担にならない程度で、今できるベストを尽くすようにしています。

ーーベストを尽くすことが、結果的に自分の価値を高めることにつながっているってことですね。

そうですね。運がよいことにいろいろな人からの紹介でお仕事をもらうケースが多いんです。だから、「これだけやってくれているのに申し訳ない」と、先方から価格を上げてくれることが多いんですね。

とはいえ、なかには都合よく利用してくる人もいるので、長いお付き合いができるかどうかの見極めが必要だと思います。お互いに嬉しい、循環できる関係性であるかが大事だと思います。

価格以上の価値”を提供できる人になろう

ーー知人や友人から仕事を紹介されるためには、どんなことが大切だと思いますか?

「この人はお金に関係なく、全力で仕事をしてくれる」と思ってもらうことかなあと思っています。相手の要望に寄り添って、できる限りを尽くす。正直、「それはちょっと難しいかも……」って思うこともありますが、求められたことは全部やるって決めてて。「できません」や「無理」は言わないように心がけています。

ーースキルが足りなかったとしても、とりあえず「やってみます!」という心がけは大切ですよね。

もし、自分にスキルがなくても、できる人に聞いてみたり、苦手な部分は誰かにお願いするようにしています。なので、自分の苦手を補ってもらえる多様な仲間作りも大切ですね。フリーランスになりたての時期は、いろいろなイベントに顔を出して繋がりを増やすことを意識していました。

また、イベントでは、すぐにブログでイベントレポートを書くようにしてましたね。そうすることで、主催者とイベントの宣伝もできるし、主催者にも認知してもらえるじゃないですか。

ーーなるほど……!関係を築くのがうまいですね。

コミュニケーション能力は、フリーランスにとって大事だと思っています。「俺はこんなによいものを作った!」といっても相手の要望に寄り添えておらず、相手が求めていなかったら、それはだめなわけですよね。スキルは高くても、コミュニケーションの齟齬で仕事を逃すことはよくあることだと思っていて。だから、相手が求めているものを汲み取り、それに合ったかたちで自分のクリエイティブを発揮することは大事な気がします。

僕は正直スキルは高くないと思っています。最近だと、動画編集ができずに、焦って、友達に聞きながら夜中に作業したこともありましたし(笑)。僕としては、作品の質はあまり高くないと思っていたのですが、でも何だかんだ継続的に発注いただいているんですね。なぜ継続的に発注してくれるのか聞いてみたら、全力で応えてくれる感じがよくて、急に発生した案件もお願いしやすいといわれたんです。だから、スキルがなくても、向き合い方を変えることで、仕事は増えていくと思います。

ーーありがとうございます。今後のキャリアの展望をお願いします。

自分がフリーランスになろうと思ったとき、当時は何を学んだらよいか全然わかりませんでした。コミュニティがあったからこそ、何とかここまでやってこれたと思っているので、教育やつながりって大事だなと思っています。

次は自分がコミュニティを作って、過去の自分のように、これからがんばる人たちをサポートできたらと思います。好きなことで生きるというステージを超えて、最低限自分の分くらいは食べていけて、かつ周りや社会のために価値を提供できる人が増えたらよいなと思っています。

ーー新しい働き方LABにも、これからがんばる人たちをサポートする思いで関わっているのでしょうか?

そうですね。フリーランスときくと都会のイメージがありますが、新しい働き方LABには、全国各地にいるロールモデルと出会えますよね。だから、たぶん誰かは助けられるだろうと(笑)岡山、SNS発信なら僕のところに来てもらえばよいし、それ以外なら別の拠点の人を紹介できるし、そういう意味でも新しい働き方LABは大事なポジションだなと思いますね。

ーー最後に、フリーランスになりたい人、目指す人に一言お願いします!

自分でがんばろうとせずに、どんどんコミュニティに入って、わからないことを聞くのは大事だと思います。まず、自分の好きなことは一旦脇に置いて、イベントでレポート記事を書くとか、Twitterで発信するとか、口コミ側になるだけでもよいと思うんですよ。そうやって自分の憧れている人や周りの人に貢献していると、自分を引き上げてくれる人が現れます。その時に、はじめて自分の枠を超えた仕事ができます。まずは自分の枠を超えるためにがんばってみてください。